電気と電子と電波の日記

自分のための備忘メモです

77.1MHz 78.8MHz

放送大学学園のFMの跡地である77.1MHz 78.8MHzは、関東地方の臨時災害放送局用の周波数になったが、その実験が始まるようだ。近接エリアの時分割利用、同時利用時の設置条件など調査するので、机上検討だけでなくどこかのエリアに複数の試験局を開設するのだろう。

総務省|関東総合通信局|「放送大学FM跡地を利用する臨時災害放送局の 効果的な開設・運用に関する調査検討会」を開催

一般からも受信報告を募ればいいのに。

 

77.1MHzといえば、かつて埼玉県浦和市に住んでいた頃、真夏の深夜、放送大学が放送終了して停波すると、ノイズの彼方から、呟くような声らしきものが聴こえることがあった。恐怖におののきながら耳を澄ますと、「とーざかるにつれ、しだいに、ほしのまたたきに・・・」

ゆっくりとしたフェージングを伴って聞こえていたのは、エフエム仙台の「ジェットストリーム」だった。

受信設備は木造2階建の2階で室内フィーダーダイポールアンテナにFMチューナーで特別なものではない。

仙台から浦和のVHFの伝播は、対流圏伝播というのがエフエム仙台の見解。

 

文字通り、対流圏を伝わって流れてくる「ジェットストリーム」に耳を傾ける熱帯夜は良い思い出。当時と比較すると近接周波数の混信が増えていると思うが、条件によってはいまでも楽しめるはずだ。

f:id:t1000zawa:20220804092456j:image


f:id:t1000zawa:20220804092511j:image

 

 

 

Eスポチャレンジ 7/23

毎年シーズン恒例?のEスポチャレンジに備えて、スタンバイしているRJX-601。ホコリが積もってきたのが気になっていた矢先、今朝は50MHzで北海道方面が調子良い。ベランダでロッドアンテナを伸ばして、AMで北海道2局交信できた。いずれも過去交信した局でお久しぶりなのだが、札幌の局は200mWQRP。信号が強くなったわずかなタイミングで交信できた。

f:id:t1000zawa:20220804083918j:image

(交信できた時間帯のイオノグラム、描画が変なのはご容赦)

KDDI通信障害

KDDIの携帯電話網の障害、幸いにも自分の携帯電話はDocomoなので影響はないのですが徹夜で復旧作業にあたっている方々本当に大変お疲れ様です。

2013年の通信障害にも大きな障害がありましたが、別の事象。

一連のLTE通信障害の原因と対策について | 2013年 | KDDI株式会社

 

完全な素人の想像ですが、auのネットワークは2022年3月31日で3Gサービスを終了していますが、サービス終了後、3Gの電波は止まりCSFBが無くなったが、3Gの制御系は6末まではまだ生きていて、いよいよ3Gシステムを切り離して最終形にする移行作業を7月1日深夜におこなっていたところ、そこで何らかのトラブルが発生したということではないのか。べンダーはエリクソンと思われる。

 

www.itmedia.co.jp

 

昨年のdocomoの障害事例 トラブル後の制御情報の輻輳という点では今回と似ている気がする。

www.itmedia.co.jp

www.itmedia.co.jp

 

ラジオダクト発生?

猛暑が続いているが、今日22時頃、当地逗子市でのNHK総合・東京の受信レベルが異常に低下しており、頻繁にブラックアウトする。ラジオダクトが出ているのだろうか。430MHz帯を受信してみると普段と変わらない雰囲気。謎。

 

混信日記 936kHz

日曜夜のユーウツ(明日から仕事‥)の紛らわしの中波受信。今日は936kHzが強力。この周波数は、秋田放送宮崎放送。当地から秋田は約500km、宮崎は約1200km。サービスエリアでは問題とならないが、当地では常に混信する。

聞こえてきたのは松山千春さんの声で番組表見ると秋田放送だが、しばらく聞いていると別の番組が持ち上がってくる。地元の番組らしく、宮崎の人のメッセージが読まれている。午前1時前になると、ラストナンバーとして松山千春「恋」と、Tears in Heaven/エリッククラプトンが交互に数十秒おきに聞こえてきて、なんとも感傷的なひととき。

混信する同一周波数の局を同時に聞いて、同時に受信報告出すのもいいなと思ったので、内容をメモって、両局に同時に受信報告出したら、同一日に返信があった。周波数も同じなら返信も同じタイミングだった(笑)


f:id:t1000zawa:20220615224857j:image

同一周波数同時受信報告、なかなか面白い。来週日曜はどこにしようかなあ。

FM局のマスターの想い出

 興味ある人は興味あると思いますが、1980年代後半に開局した、ある県域FM局のマスターの想い出写真です。

 写真は当時最先端だったCASIOデジタルカメラQV-10Aで撮影したもので、1995年頃のもの。画素数が少ない(25万画素)ので、どこの局なのか特定が難しいと思います。なので、今回はボカシも入れず、匿名希望でお送りします~

 この局のマスターAPS(自動番組運行装置)は、当時のNECの標準的もので、80年代後半から90年代前半に開局したJFN系列局、独立系FM局の多くで採用されていました。型式名はSQM-3203Mだったと思います。CPUはZ80でした。運行画面が2つありますが、A/Bのデュアル系統で、ディスプレイは単なる14インチのカラーテレビです。NECAPSの運行画面は、MBU-5だったかな、ディスプレイユニットで生成されるNTSCのコンポジット信号というのが特徴で、分配や引き回しが簡単でした。EDPS(営放システム)からAPS運行データの受け渡しは8インチのフロッピーディスク。すでにこの時代だと今更8インチという時代でしたが、EDPSはNECオフコンだったので、それにあわせていたのかもしれません。確か2Dの320Kバイトだったと思います。IBMフォーマット、文字コードEBCDICで記録されていました。他局の同世代のAPSでは、3.5インチFDDを採用していたところもあったようです(J-WAVEとか)

APSには「AUTO」「A/M(AUTO/MANUAL)」「MANUAL」の3つのモードがあり、この局では常時「AUTO」で運用していました。他の局ではA/M(AUTO/MANUAL)での運用が多かったと聞きます。本編とCMはシンプルにBASE列で切り替えておりました。ベースカットというやつですね。これも局によっては、CM枠はスタジオとDAF(オーディオファイル)をMIX(MX)で運行しているケースも多かったようですね。

 APSの運行データの修正や追加は、卓のキーボードから可能でしたが、トラブル対応以外、めったに操作することはありませんでした。貧弱なエディター機能があるもののオペミスしそうで怖いです。怖いけど触りたい。私が朝ワイドを担当していたときの話ですが、基本、マスターは無人運行なので、誰もいないのをいいことに、こっそりAPSを直接操作することもありました。運用ルール上はダメなんですけどね。もちろん事故にならないことが前提ですが、たとえばNEXTイベントがアンタイムイベントで、それに続くCM枠が2分もあるような場合、5分程度の少し長めの曲をスタートさせた後、その曲が完奏するタイムを計算し、マスター卓でアンタイムイベントを確定に変更しておくことで、7分近く何もしなくて良い時間を作り、その間にトイレ(大)に行くというようなことをやっておりました。

リサジュを表示しているテクトロの波形モニターの下の釦は、EMG(非常用)の列。運行データが間違っていて、送出がぐだぐだ(事故)になったときに操作したことがあります。 横にズラリとならぶ釦は、BASE列のA/B系とAUD列(オーディション:試聴)です。その右側にはOL列(オーバーラップ)と、フェーダーモードを選ぶ釦と、TAKE/HOLD/SKIP/BACK SKIPの釦がありました。OLできるソースは限定されていました。この局のソースは、T1~T6、S1~S3、F1/F2(オーディオファイル)、N1/N2(ネット列)X1/X2(AUX)、CD、TO(時報)、OS(1KHz)、XX(終端)くらいだったと思います。あと面白いなと思ったのが5秒か10秒ごとに尺の異なる穴埋め素材を選択するサムホイールスイッチがありました。NEXTまでに空き時間がある場合は、エンドキューをトリガーに残り時間を計算して自動再生することができるのですが、運用したことはありません。

 APS卓はスチール製でスイッチやメーターがずらりと並んでいるだけのドンガラで、APS本体は、ラック室内にあり、制御架、スイッチャと分配器の音声架、中継/ネット架など、ラック5本くらいの構成でした。

 ログなど帳票出力はNECのドットインパクトプリンターから出力していましたが、APS出力のRS-232Cとプリンタインターフェース(セントロニクス規格)の変換器としてPC-8201が使われていました。

この局のマスター室は、県庁所在地の駅近くのオフィスビルの一階にあり、現代では保安上あり得ないのですが、平日の日中は誰でもアクセスできました。よく言えば熱心な、悪く言えば怪しいリスナー、宅急便のお兄さん、保険のオバチャン、そして近所の野良犬までマスターに現れるという、おおらかな時代でした。

こちらはマスターの送出用のテレコです。DENONのDN3602系です。テープスピードは19cm/s、テープはmaxell で統一していました。再生専用機3台、録音再生機が3台だったかな。

 うち1台はセンタートラックにCUE(ストップキュー、エンドキュー)が打てる機材でした。ここでいうCUEというのは、APS(自動番組装置)に対してテープレコーダー側から次のイベントを発効していいよ、具体的にはCM出していいよ、というきっかけを出すために、テープに記録する音声信号のことです。電話のピポパ音のDTMのような音だったと思います。この音声信号はテープのセンタートラックという、制御信号記録用のトラックに記録されるので、放送に乗ることはありません。搬入された完パケを検尺・検聴をして、番組頭にストップキューと、CM入りタイミングにエンドキューを打ち、本編戻りまでの尺が確認する・・というのは、新人の重要な仕事でした。週末や連休前になると、作業が必要な完パケテープが30本くらい溜まるので、この作業だけでも数時間かかりましたが、作業ミスはそのままCMが未送出となる放送事故なので、緊張しました。ダブルチェックなんていうぜいたくな運用はできません。だって人いないんだから。でもそんな重要な仕事を新人に任せていたのも、大らかな時代だったのでしょうが、任されていたからこそ、真剣にやっていた気がします。

 CUEを打つ作業は、マスター送出機ではなく、スタジオ設置のテレコ(OTARI BTR-10J)でおこなうように指示されていましたが、DN3602の鬼のように速い早送りと巻き戻しで作業がはかどったので、よくマスター送出機でキューを打っては、先輩社員にマスターのテレコでやるなと怒られてました。テープもほんとは化粧巻きしないといけないんですけどね。

 FMの場合、AMのように短尺の番組が連続することはないので、DN-152Pのような多装填テープレコーダーは不要で、卓の後ろにテレコを6台並べていれば、朝と晩にテープをセットすれば十分ローテーションできました。(個人的にはDN-152Pのような多装填機は運用したかったのですがね)

マスターのモニタースピーカは、壁面にダイヤトーン(三菱2S-208C)と、ラジカセなどの聴取を意識したBOSE101MMを併用していました。夜勤で一人になったときには、爆音でモニターしてましたね。

これは送信所リモコンです。制御は4線式でモデムがあって監視制御ができるようになっていました。STL受信機の切替、送信機のON/OFF、最終段の同軸切替機の切り替えができました。月単位で1号送信機と2号送信機を交互に切り替えて運用していました。運用中に切り替えたこともありますが、サッとノイズが乗る程度で、気づかない程度だったと思います。監視は送信機出力やSTLの受信電界強度などがメーターで表示されるようになっていました。STLは今は亡き3.4GHz帯で、集中豪雨の時には、回線断には至らないものの降雨減衰が発生していることがメーターから判断できました。

 当時の一般的なFM局は、FM放送方式のステレオ信号(コンポジット信号)を演奏所で生成し、そのコンポジット信号でSTLを変調し送信所に伝送、送信所ではSTLの受信信号を周波数変換して80MHz帯にして送信する、という構成です。このためFM変調器はマスターのラックに実装されていました。写真がありませんが、開局時に導入されていた変調器は、安藤電機のST-76という質実剛健なものとリミッターはF760というものでしたが、さすがに民放としてはつまらない音なので、orban OPTIMODを導入していました。OPTIMODの話題は改めて。

 また、これも写真にはありませんが、民放の命、CMバンクは松下通信工業(Panasonic)のデジタルオーディオファイル(DAF)AN-4720が導入されていました。32kHzサンプリング16bitのPCM記録で、ディスクは1個1Gbyteの巨大なハードディスク(ウインチェスターディスク)が16台実装されていたと思います。ディスク1台で、19インチラックのハーフサイズで高さは5Uくらいあったと思います。奥行はほぼラックの奥行と同じくらいありました。オーディオファイルを管理するコンピュータはCP-Mで動いていて、ファイリングはオープンリールテープをDN-3602で再生しておこなっていました。送出はCM枠ごとに、APSからのトリガーでダイレクト送出をしていました。    

 DAFの停止が必要なメンテナンス時は、1日分のCMを連続で再生し、テープに収録して送出します。いわゆる1本化です。テープにはCM枠の頭にストップキューを記録し、APSのトリガーで自動送出していました。CMのときにはオープンテープが回り出し、枠が終わると止まる。APSとテレコが生き物に思えました。枠の頭のテープの位置にはCM枠コードをデルマトグラフで記入して、NEXTがなんなのか、目視でもチェックできるようにしていましたね。

 

さてAPSとは別のラックです。手前はAPTのコーデックDSM100、奥は時計装置、SEIKOのQC77Fです。当時は基準時刻は短波のJJYから得ていて、ユニット化されたJJY受信機が装備されていました。この受信機はロータリスイッチで受信周波数を切り替える仕組みになっており、当時のJJYは2.5/5/8/10/15MHzでしたが、JJYの送信所からの距離的に伝搬状態が良かったのは5MHzか8MHzだったので、そのどちらかを選択して受信していたと思います。

ということで、懐かしく思っていただける方がいたら幸いです。つづく