私のTBSラジオの思い入れは小学校4年に遡る。当時は朝から晩までTBSと共にいて、友達にも人気の高かった番組が、「一慶・義雄の夜はともだち」
テーマ音楽担当はキャンディーズだった。当時はTBS派、文化放送派に2分されていて、文化放送派は「みのもんたのワイドナンバーワン」に思いを入れていた。
ニッポン放送は関係無いのかと思うかもしれないが、TBSの送信所は埼玉県戸田市、文化放送の送信所は埼玉県川口市赤井だった訳で、千葉県木更津市のニッポン放送は、電波が弱くて眼中になかった。鶴光のオールナイトニッポンに目覚めるのはそ2、3年後、中学生になってからだ。
ま、小学校のその頃からラジオに憧れて、小学校5年生になったとき、5年3組の出席番号が誕生日順で6番だったので、5ー3ー6という表現が当時のTBSの住所である東京都港区赤坂5丁目3番6号と同じになって、これは何かの縁かと嬉しかったのは鮮明だ。
その翌年、小学校卒業アルバムには、なりたい職業として、周囲の友人が、プロ野球選手とか、パイロットとか書いている中で「放送関係」と書いた自分がいる。
TBSは、日曜深夜放送休止と、月曜早朝の放送開始前に素敵な曲を流していた。当時は誰のなんという曲かもわからず、歌詞も、「you あなたのー youあなたのーTBS TBS TBSラジオ」と聞こえていたのが、実はyou are not alone だったというのがわかったのは、最近のことである。
その名曲、ウンチクはここ。
http://www.theme-music.net/sp/radio/a01/tbs-song.html
その曲はここ
↑ピッチ速い
↑ちょっとピッチ遅い気もするが、ほぼ忠実か。
気になっているのは、27年も前のマイクロフォンが、どんなモデルだったかということ。1950年代、さすがに、カーボンマイクじゃないと思うが、なんだろうね。
もはや自分はTBSは関係ないが 、一時、上司がTBSの方だったり、TBS社員と仕事で直接お付き合いがあったするのは、何かのご縁と感謝しているが、やはりその現場にいる彼らは羨ましいし、自分がそこにいたらまた違う充実感があったんだろなあと思う。そういう意味では志の低いTBS社員に直面すると、説教したくなる。