電気と電子と電波の日記

自分のための備忘メモです

MV3-BHの思い出

 1983年頃だと思うが、秋葉原でこのアンテナを買い求めた。タニグチのMV-3BHという14/21/28MHz3バンドのバーチカルアンテナ。2アマに合格したので14MHzにも出ようと、それまで21MHz/28MHzの自作ダイポールアンテナからのグレードアップである。お値段は1万円前後だったか。

f:id:t1000zawa:20220206154025j:image

http://www.radiomanual.info/schemi/ACC_antenna/TET-Emtron_MV-3AH_MV-3BH_user_F5APG.pdf

購入したのは丸善無線。

 非常にうろ覚えだが、秋葉原駅南側のガード下に「ニュー秋葉原センター」というのがあり、小沢電機商会とか、九十九電機とか、地下に「壺」というラーメン屋があったりした記憶があるが、そこからガードをくぐった右手に丸善無線があった。店を入ると階段があって2Fがアマチュア無線コーナーだったかな?

 丸善無線は、たしか、東北新幹線の東京延伸の工事のため立ち退き?になり、1985年だったか、ハス向いに「マルゼンムセンECCS」〈現BOOKOFF)に移転した。

 その丸善無線でアンテナを購入したときの出来事。フロアには電鍵コーナーがあり、ハイモンドの縦ブレ電鍵がズラリと並び、カツミ(EK-121や150だったと思う)ケンプロ(KP-100のはず)のエレキーが展示されていた。ポロポロ(ケンプロのエレキーって内蔵サイドトーンがポロポロという音だった記憶)と自分のコールサインCQを試し打ちしていたら、一人の外国人らしきおじさんがニヤニヤしながら寄ってきて、「DE DU1CK」と応答してくれるではないか。こちらも名前送ると、Name is Chitoと応答してくれて、笑顔で握手。「アイボールCW QSO」ってやつか(笑い) 当時はピンとこなかったが、フィリピンの有名なDX'erだった。当時高校2年くらの少年の私。カタコト英語で何を話したのか、話せたのか憶えていないが、秋葉原デパートの裏(ラーメン屋の「いすず」があったあたり)で、ソフトクリームをごちそうになった。私はアンテナの長い箱を抱えながら、路上で2人でソフトクリームを食べて、お別れしたのだった。当時のログやQSLカードは引っ越しどさくさで紛失しているので、その後交信したかどうか記憶にない。Chitoさん、今でも憶えてくれているだろうか。

 このアンテナ、エッチラオッチラ京浜東北線に乗って持ち帰り、竹竿の先に取り付けて、ラジアルとしてACコードのビニール線を14MHz用に1本、21/28MHz用にそれぞれ2本ずつラジアルを張って運用した。まだコンディションの良い時代。ダイポールからどれだけ改善したのかの実感はあまりなかったが、TS-520Xの10W機で十分楽しめた。実家を出た後、アンテナはしばらく保管しておいたはずだが、実家の建て替えのどさくさで、当時ログやQSLカードと一緒に、紛失してしまったのが残念だ。 

 マルゼンムセンECCSには、国電同時多発ゲリラ事件(1985年11月29日)の直後に、初めて行ったおぼえがある。掘り出し物が多く、いろいろお世話になったが、その日はテレビ東京から放出されたらしいVTRやテレコといっためったに見れない機材が置かれていて、どうやって仕入れてくるのだろうと感心していた記憶がある。